ピアニストの大井浩明氏とシューベルトの「冬の旅」を演奏するという企画が出て来た時に、折角だからこのコンビでしかできないようなことをやろう、ということで、ケージの「冬の音楽」も同じコンサートで演奏することになった。ケージの「冬の音楽」はピアニストのための作品なので私も演奏に参加するために同じケージの「ソング・ブックス」を同時演奏する事にした。両者の作品とも、ケージ作品によくあるように同時演奏可能である。とりあえず全体の演奏時間を30分と決め、あとはそれぞれ演奏の準備をしたのだが、同時に演奏したのは本番の1回のみ、お互いどのようなリアリゼーションをしたのか全く知らないままでの演奏だったので非常にスリリングな体験となった。
以下は私が「ソング・ブックス」をどのようにリアリゼーションしたかの記録である。
この作品はケージが1970年に作曲した声のための作品集で「声のためのソロ 3〜92」とタイトルのつけられた89曲の作品から構成されている(ちなみに「声のためのソロ1,2」は単独の作品として作曲されているが、「声のためのソロ12」は「声のためのソロ1」と同一作品である)。これらの各作品を任意の人数の歌手が任意の曲を任意の組み合わせで演奏するように指示があるが、まずはどの作品を演奏するか、ということを決定する事からこのリアリゼーションは始まる。
いきなりここで大きな難関に直面するのだが、これらの作品のほとんどは伝統的な五線譜を使用しない独自の記譜法が用いられていて、その手法が作品ごとに異なっているので、まずはその記譜法をケージの解説を読みながら解読していかなくてはならない。後の方の曲になるにつれて、「前に出て来た特定の作品の解説を参照しなさい、その記譜法にこの作品独自のオプションは○○である」というような指示も増えてくるのでまずは始めのページから順番に記譜法を学習しなくてはならない。総ページ数は300ページを超える大作であるのだが、これを一通りこなさないと、どの曲を演奏するか、ということすら決められないのである。
そして、記譜法をマスターしたからといって、それがどのような作品であるかを想像する事はできない。ケージの他の作品と同様演奏結果が不確定なものが多く、出てくる音はもちろん演奏時間すら予測する事は全く不可能なのである。それが自由に組み合わさった結果がどうなるかはさらに予測不可能である。
とりあえずは第一印象で今回の演奏会の演奏状況で実現可能で演奏効果が高いと予想されるものをいくつかピックアップしてみたが、ここでも新たな問題にぶつかった。
かなりの割合の作品で、声を電子変調する指示があるのだ。しかもその指示が実に曖昧で、それにも関わらずかなり複雑な変調システムを期待するような記譜法になっているのだ。ひとつの選択肢として電子変調を必要とする作品は演奏しないという方法もあるのだが、それではつまらない。しかし、ケージの期待するような電子変調をライヴで行おうとすると技術的、予算的に極めて困難である。そこで私が思いついた解決策は、電子変調が必要な作品は事前に自宅で録音しておき、それを生の演奏と同時に再生する、ということである。複数の歌手が同時に演奏する事が可能なのなら、スピーカーから聞こえてくる「体のない」歌手と生身の歌手が共演してもいいはずだ、という発想である。さらに、マルチトラック録音を行う事により録音音源上で複数の歌手が同時演奏する状態も作る事もできるので演奏にヴァラエティをもたらす事もできて一石二鳥である。ちなみに同様の発想で、この生演奏を伴わないこの録音自体も「ソング・ブックス」の一つのリアリゼーションとして解釈できるだろう。
電子変調を使った作品として
「声のためのソロ4,5,22,79,91」の5曲を選びリアリゼーションに取り掛かった。
「声のためのソロ4,5」はリアリゼーションの方法が似ている。「声のためのソロ4」はコンコード地方の地図、「声のためのソロ5」はソロー(この曲集のいくつかの歌詞は彼の文章から採用している)の似顔絵(両者ともスコアに添付されている)の曲線を辿りそれをメロディー・ラインとして解釈するのだが、その曲線を印刷されたスコアの歌詞の上に設けられた空欄に書き込み、歌詞とメロディーの関係を決める。歌詞のフォントの形状、大きさ、あるいはメロディー・ラインの特殊な地点(地図上で道を曲がる所など)を歌唱法、電子変調の方法の変更に対応させる指示があるので、それに基づき具体的な方法を決定した。「声のためのソロ5」では横軸を時間軸に対応させる指示があるので1段分を18秒で演奏する事とし、演奏しやすいように3秒ごとに目盛を書き入れ、ストップウォッチを使って演奏、録音を行った。さらに「声のためのソロ4」では鳥の鳴き声、「声のためのソロ5」では雷や雨の音の録音と同時に演奏する事が指示されているので、録音した演奏にこれらの具体音を重ねた。
「声のためのソロ22,79」は息音、「声のためのソロ91」は旋法的でシンプルなメロディーを楽譜の指示に従って電子変調させていくが、この指示の記譜法は極めて不確定的である。電子変調を変化させるポイントで数字が書かれているが、常に
「236」のような二つの数字を組み合わせたスタイルで表記されている。大きな数字は使用するエフェクターの番号、上付きの数字はその適用量を12段階で表している。エフェクターの選択を示す大きな数字は64まであるが、使用するエフェクターが64種類よりも少ない場合は別添の変換表を使って数字を解釈する。ここで重要なのはこうした指定が具体的なシステムを前提としている訳ではないということである。例えば上記の例は「エフェクター23のパラメータを6/12にしなさい」という意味になるが、エフェクター23をリング・モジュレーション、ディレイ、ディストーションなど、どのエフェクトに割り当てるのかは演奏者に任せられているし12段階のパラメータにしてもどういう基準で12段階に割り当てるかの指定も一切指定がないのだ。言ってみれば「ここで任意のエフェクターのつまみを適当に回す事」と言っているのと実質的な違いはないのだが、この様に指定する事により演奏者は自由にエフェクターを選ぶ事ができてもその効果を恣意的にコントロールすることはできない状況に置かれる事になる。従って、場合によっては過激で極端な効果が表れる場合もあればほとんど意味のない場合も有り得るのだが、演奏効果として面白いものにするために、試行錯誤を繰り返して、無作為にパラメータを動かしても効果の分かりやすいエフェクターを選んだ。
ケージの意図としては生演奏にリアルタイムで電子変調をかけることによる異化作用にも狙いがあると思われるが、この演奏では録音したものを再生するコンセプトなので、まず普通に演奏したものを録音しコンピュータ上で電子変調を施す事にした。こうすることによって多彩なエフェクターを贅沢に使用する事ができるし、演奏行為と切り離して様々な試行錯誤を十分に繰り返す事ができた。
録音音源用の作品として、これらの電子変調を必要とするものに加え
「声のためのソロ45、51」も取り上げた。「声のためのソロ51」はそのタイトルに反して「山火事の録音を再生する事」という指示の一切声を発しない作品であるが、これを演奏の終盤に再生されるようにセッティングした。
「声のためのソロ45」はそれ自体が「冬の音楽」に匹敵する大作であり、ケージもこのソロを「冬の音楽」や「アトラス・エクリプティカリス」と同時演奏する事も示唆しているように、両者の作風の共通点も多い。この曲の18ページの楽譜の任意のページを1〜18人の任意人数の歌手で演奏するように作曲されている。それぞれのページは6段にわたってまばらに配置された短い五線譜で構成されていて、それぞれの五線には1〜2個の音部記号と1〜10数個の音符(符頭のみ)が記入されている。演奏者は細かく規定されたルールに従って、それらの音符をできるだけ急速に演奏するごく短いメロディーに再構成しなくてはならない。「冬の音楽」は沈黙の中で孤立した和音が断片的に演奏される作品だが、「声のためのソロ45」はこの和音の代わりに瞬時に演奏されるごく短いメロディーが演奏される。1段に収められたこの「疑似和音」はおおよそ0〜5個ほどでありこの1段を2〜12分ほどで演奏する事と言う指定があるので、どんなにテンポを早めに設定しても20秒に一つの音楽イヴェントしか発生しない、という極端な音の過疎状態が形作られる事になる。今回は1ページを全体の演奏時間の30分になるように設定したので1段を5分で演奏することとした。演奏するタイミングを物差しを使って計測し、指定されたルールで前述のメロディーの楽譜を作成する、という作業を3ページ分行った。つまり3人の私の「分身」がこの作品を同時に演奏する、という按配である。この「メロディー」は当然演奏する都合など一切考えずに作られているので音域、音程のいずれもほとんど演奏不可能に近いし、「声のためのソロ2」のシステムから作成された歌詞も文字通りには発音不可能なものも少なくないのだが、ここでも録音ならではのメリットを利用し、テイクを重ねる事によって演奏の正確性を高めるように努めた。
こうしてできた録音素材をミックスする訳であるがこの「3人」の同時演奏による「声のためのソロ45」を全体の通奏低音のように配置し、そこに重ねて、その他の作品をあたかも一人の演奏者が連続演奏しているかのように配置した。各作品の音量のバランスや定位などミキシングに細部までにわたる調整を施した事は言うまでもないが、結果としてそれ自身が鑑賞に耐えうる「ソング・ブックス」の一つのヴァージョンになったと自負している。
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