金曜日


 今回の講習会で行われたコンサートの中心となったプログラムは「金曜日」全曲の準コンサート形式による演奏でした。「準コンサート形式」とは、オペラの本格的な上演で使われる様な大道具などの本格的な舞台セットは使用しないものの、衣装、照明などを使用して通常のステージで可能な限りの動きを付けて行う演奏形式で、一般的なオペラの演奏会形式による上演にもう少し演劇的要素を加えたものと考えて良いでしょう。

 この作品は1991〜1994年に作曲され、1996年に全曲初演されたにもかかわらず、未だに殆どの部分の録音が発表されていないので、この作品の概要を説明します。
 
 「金曜日」は「ルツィファーのエーファへの誘惑の日」という位置付けで、基調となる色のオレンジ色は照明や衣装に多用されています。
 この作品は「金曜日の迎え」、2幕からなる「金曜日の誘惑」、「金曜日の別れ」で構成されますが、今回はオペラの本質的な部分である2幕の「金曜日の誘惑」のみが演奏されました。ちなみに「迎え」と「別れ」はロビーでそれぞれ開演前、上演後に演奏される電子音楽ですが、「金曜日の誘惑」で演奏される「電子音楽」のレイヤー(後述)が前半(迎え)と後半(別れ)に分けてそのまま演奏されます。

 さて、このオペラは3つのレイヤー(層)からなっています。
 1つ目は今触れた「電子音楽」でシンセサイザーの多重録音によってスーパー・フォーミュラの(そのまま演奏すると7秒位の)「金曜日」の部分が約2時間(1000倍以上の拡大!)に引き延ばされて、100倍以上に引き延ばされた(もともと1分で演奏出来る)エーファとルツィファーのフォーミュラと重ねて演奏されるドローンの様な8チャンネルの電子音楽です。
 2つ目は「サウンドシーン」と呼ばれる男女二人の声(男声はシュトックハウゼン自身、女声はカティンカによって歌われました)を様々な具体音でヴォコーダーを使って変調させ、ピラミッドのような形に配置された12個のスピーカーから再生されるかなり変態的な(笑)電子音楽です。
 3つ目は「リアルシーン」と呼ばれる、伝統的なオペラのように生演奏の歌手と楽器奏者によって演奏される音楽です(但し、ほかの「光」の多くの部分と同様に指揮者やピットで演奏するオーケストラのようなものは存在しません)
 これらの3つのレイヤーが互いに重なり合いながらこの作品が演奏される訳ですが、「電子音楽」のレイヤーは終始鳴り続けてこの作品の音楽的背景のような役割を果たすのに対して、「サウンドシーン」と「リアルシーン」は決して同時に演奏される事はありません。例えて言えば、「電子音楽」は海のように全体に渡って途切れる事なく流れ続け、「サウンドシーン」と「リアルシーン」はそれぞれのシーンが孤立した島のようにこの海に浮かんでいるといった感じでしょうか。
 
 リアルシーンは10の場面で構成されていますが、今回の演奏では合唱などを伴わないソリストだけで演奏可能な5つの場面が実際に演奏され、残りの5つの場面は初演時の録音などがテープで演奏されましたので、一応「金曜日」の全ての音楽を俯瞰出来た事になります。

 10のリアルシーンは以下のような順序と構成になっています。


■ 第1幕 ■



■ 第2幕 ■





 12のサウンドシーンはこれらのそれぞれのリアルシーンの合間に演奏されますが、始めは12個のサウンドシーン用のスピーカーの内の1つだけが使用され、次のサウンドシーンでは2つが使われ、さらにその次では3つ、というようにだんだん使用するスピーカーが増えていって、最後のサウンドシーンでは12個すべてのスピーカーが使用される、という構成になっています。このサウンドシーンは、ドローン風で瞑想的な「電子音楽」に切り込むように突然大音量で演奏されるので、真っ暗な空間に突然光が差した様な強烈な効果があります。しかもこのサウンドシーンは12チャンネルのマルチ・モノラルという極めて異様なミックスが施されているので余計にこの効果が強調されます。
(このサウンドシーンだけを取り出して編集したものがPAAREというタイトルでCD化されています[全集CD 48]。あと「電子音楽」と「サウンドシーン」を同時に収めたものも同様にCD化されています[全集CD 49]。)

 
 ソプラノ歌手はエーファを演じ、ELUとLUFAというエーファの侍女のような役割を果たす二人の役はそれぞれバセットホルン奏者とフルート奏者が演じます。
 バス歌手はルドン(=ルツィファー)、バリトン歌手はルドンの息子であるカイーノを演じます。
 ルドンはエーファに、人類の発展のためという口実で、ルドンの息子カイーノと結婚(より直接的に言えば性交渉)するように提案し(いわばエデンの園におけるエバへの蛇の誘惑と同じものだと考えれば良いでしょう)、第2幕の「堕落」のシーンではエーファとカイーノが実際に交わり合い(象徴的であるもののかなり直接的な表現がステージ上で行われます。。。)、しかし人類が発展するどころか子供達は戦争を始め、「後悔」の場面でエーファが、ミヒャエル、(夫の)アダム、神に懺悔する、というストーリーです。

 ちなみにリアルシーンの「ELUFA」は ELU と LUFA の2重奏であることからこのタイトルが作られていますが、ELU と LUFA という役の名前自体が、このオペラの主要人物であるエーファ EFA とルドン LUDON から取られているのです。言ってみれば役のネーミングもセリエルに行われているといって良いでしょう。

 ELU と LUFA のパートはおなじみのスージーとカティンカを想定して作曲されたので、様々な特殊奏法や微分音が多用された演奏至難なものになっているのは当然として、エーファ、ルドン、カイーノの3人の声楽パートも演奏は決して簡単ではありません。
 3人の歌手はドイツ語で歌いますが、子音も母音と同じ重要性をもって作曲されているため、歌詞は一般的なドイツ語の表記ではなく発音記号を使って克明に記譜されています。
 とりわけコロラトゥーラ・ソプラノのために書かれたエーファのパートは演奏困難な最高音域が連続するだけではなく、「後悔」の場面では「祈り」で使用された独自のジェスチャーの楽譜も歌いながら演じなくてはならないので演奏に対する負担はかなりのものですが、エーファを演じたアンジェラは、過酷なスケジュールのリハーサルによる疲労は完全には隠しきれなかったものの大健闘だったと思います。

 それぞれの「リアルシーン」ではその他の「光」からの諸作品同様、頻繁(数小節おき)に変化するテンポの半音階を正確に演奏しなくてはいけませんが、先述の通り、一部の例外(子供のオーケストラはエーファが指揮をする)を除いて指揮者は存在しません。つまり舞台上の演奏者がぴったりと息を合わせて頻繁なテンポの変化に対応しなくてはならないのですが、少し考えれば分かるように、これを実現するのは物凄く大変な事で、本番直前のリハーサル中にもミキシング・コンソールからシュトックハウゼンが指揮をしながらテンポを訂正する場面がありました。それでも敢えて指揮者を置かない理由は演奏者同士による自発的なアンサンブルを喚起するためなのでしょう。

 「子供たちの戦争」の部分だけは、その他の初演時のテープ再生で生演奏の代用とした場面と異なり、「コメット_ピアノ曲XVII」として発表されたヴァージョンの録音(全集CD 57に収録)が使用されました。ここでは、本来児童合唱で歌われるパートがカティンカの歌声の多重録音で演奏されます。
 精密なサウンドプロジェクションを施した生演奏の部分を聴いてしまうと、ステレオにミックスされたテープ再生のサウンドはどうしても平面的に聴こえてしまうのですが、「子供たちの戦争」の場面ではその欠点を補うとともに、この場面の運動性に満ちた音響を表現するために、シュトックハウゼンがリアルタイムで即興的に左右のバランスを変化させました。ミキサーの隣り合った2つのフェーダーを両手でくっくっ、と動かすシュトックハウゼンの姿はテレビゲームに夢中になる無邪気な子供の様で微笑ましかったですし、もちろん音響的にも大きな効果を上げていました。

(ちなみにこの手法は全集CD 3 に収められたミュージック・コンクレート「エチュード」にも用いられています。この作品はシュトックハウゼンが始めて完成させたテープ音楽で1952年に制作されたものなのですが、ある時、この作品がステレオにミックスされている様に聞こえる事に気が付きました。この作品の作曲した時点でステレオ録音はほとんど普及していなかったはずだし、実際、この後に作曲された2つの電子音楽「習作 I, II」はモノラルの作品なので、「エチュード」がステレオにミックスされているのはかなり不自然に感じたのです。このことを清水穣氏に問い合わせた所、清水氏が直接シュトックハウゼンにこの件について照会してくれました。その回答によると、このCDをミキシングする段階で、オリジナルのモノラル録音を再生しながらシュトックハウゼンがリアルタイムで即興的にフェーダーを操作して左右のバランスを変化させた、とのことです。つまり「子供たちの戦争」と全く同じ手法です。非常にシンプルでありながら音楽に運動性を与える優れた手法だと思います)

 

このように、一部折衷的な方法を使ったとはいえ、「光」の中の一つのオペラが全曲聴けた(しかも2回の本番と何度かのリハーサル)、というのは非常に貴重な体験でした。この講習会の後、同じメンバーでこの「金曜日」を録音し、昨年の末に「金曜日」全曲のCDが発売される予定でしたが、どういう訳かいまだ発売される気配すらありません。この名作のCDの早期の発売が待たれる所です。続きを読む

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