以前にも紹介したように、このセミナーでは講師によるコンサートに加えて、選出された受講生によるコンサートが行われます。この一連のスチューデント・コンサートを聴いて、シュトックハウゼン作品の正統的な演奏解釈がしっかりと若い世代の音楽家に受け継がれていることを確信するとともに、受講生の演奏レベルの驚異的な高さに圧倒されました。
1回目のスチューデント・コンサートでは「ハルレキン」と「コンタクテ」という2つの大作が演奏されました。
「ハルレキン」は(無伴奏)クラリネットのための作品で、40分以上というこの種の編成の曲では異例な長い演奏時間を要します。そしてクラリネット奏者がアルレッキーノ風のコスチュームを着てステージ中を動き回ったり、足でリズムを叩いたりしながら演奏する非常に楽しめる作品です。見ている分には非常に楽しいのですが、単に演奏するのが既に至難なパッセージを、様々な動き(楽譜に詳細に指示されている)とともに長時間演奏し続けなければならない訳ですから、演奏者にとっての負担の大きさは容易に理解できると思います。
しかしこの「ハルレキン」はそうした演奏上の困難を乗り越えてでも演奏する喜びをもたらす作品であり、このセミナーのクラリネットの受講生のほとんどはこの大作をコンサートで演奏することを大きな目標としていました。
シュトックハウゼンが楽譜で指定している演奏家のジェスチャーは、単に奇をてらっているのではなく、音楽と密接に関連した、作品にとって極めて本質的な要素であることは良質の実演に接すればすぐに理解できると思います。
楽器を演奏する(あるいは歌を歌う)という行為はすでに肉体的行為であり、この行為と、歩いたりクルクル回ったりという肉体的行為をわざわざ区別する理由もないということでしょうか。
また、クルクル回りながらクラリネットを演奏することによって音色が微妙に変化したり、ステージを前後左右に動くことによって(当たり前ですが)音源の位置が移動する効果が作曲のアイデアとして取り入れられているのですが、これらは音楽と身ぶりの密接なつながりのほんの一例に過ぎません。
1世紀前、ヴァーグナーは音楽、美術、演劇など様々な芸術を結び付け「総合芸術」という概念を考え出し、「楽劇」という形式でその理念を実現しました。シュトックハウゼンも表面的には同じことをやっているように見えますが、ヴァーグナーと決定的に違うのは視覚的要素や演劇的要素を、音楽と「組み合わせる」のではなく、「音楽的要素の延長として」視覚的要素や演劇的要素が存在しているという点です。
「ハルレキン」や「祈り」においては、こうしたシュトックハウゼンの考えがうまく作品に取り入れられていると言えるでしょう。
一方、この日のもうひとつのプログラムであったシュトックハウゼン初期の代表作「コンタクテ」ではこれらの音楽外の要素は、銅鑼にオレンジ色の照明を当てるなど、非常に限定された段階に留まっていますが、電子音という作曲当時(1960年)非常に新しかった音響素材を極めて巧みに使いこなし、その新鮮な感覚は未だ色褪せていません。
「コンタクテ」はピアノ(打楽器も演奏する)、打楽器、電子音のための作品で、電子音は生楽器の音とミキシングされて、客席の4隅に配置された4チャンネルのスピーカーから再生されます。
この作品は題名の通り電子音と生楽器の音の「接触」が大きなテーマとなっています。つまり、電子音の音色やエンベロープをピアノや打楽器の音と関連づけて作ることによって電子音の音色がだんだん変化して生楽器の音色になったり、逆に生楽器の音色が電子音に変化していったり、というような錯覚をおこさせるような巧みな音色の操作が行われているのです(サンプラーはおろかシンセサイザーも存在していなかった時代にこのような音響操作を成し遂げたことは驚くべきです!)。
ピアノとボンゴと電子音が3声の対位法を奏でる恐るべき部分では、楽音、非楽音などといった伝統的な概念は完全に消滅しています。電子音が急激に下行グリッサンドをして音高がリズムに変容したり、ピアノのクラスターの音色が打楽器的な効果を生み出すなど、音響の様々な要素が徹底的に変容、置換され、そのプロセスが聴衆の前後左右で繰り広げられる(音の空間的な移動も作曲上のパラメータとなっている)様は圧巻です。
シェーンベルク以前の西洋音楽における作曲における「音高」というパラメータの優位(それをシェーンベルクは「12音技法」として高度に組織化することに成功した)は、この「コンタクテ」において完全に崩れさっていて、「音高」というパラメータは音色、エンベロープ、リズム、音源の空間的な場所など多くの音響のパラメータの内のひとつに過ぎなくなっている訳です。
始めに説明した通り生楽器、電子音のすべては一度演奏会場の中央のミキシング・コンソールに集められ、そこから4チャンネルのスピーカーへと送られるのですが、この「コンタクテ」のように音響の全てのパラメータが本質的な作曲要素となっている作品では、ミキシング・コンソールでの定位、音量、イコライジングの微妙なさじ加減が演奏の仕上がりに大きく影響します。同じようにマイクやスピーカーのセッティング、楽器の微妙な奏法、打楽器やピアノの種類、演奏会場の選定など楽譜に書ききれない事柄についても細心の注意を必要とします。
こうした音響に関わる多くの決定や選択を行い、ミキシング・コンソールで音量のバランスや音色の調整をおこなう人をシュトックハウゼンの作品では「サウンド・プロジェクショニスト」と呼び、かつての音楽における指揮者のように、演奏に対する最終責任を持ちます。
Stockhausen VerlagのCDをお持ちの方なら「サウンド・プロジェクション=カールハインツ・シュトックハウゼン」というクレジットがほぼすべての作品にあることにお気付きでしょうし、実際セミナーのコンサートでもほとんど例外なくシュトックハウゼン自身がミキシング・コンソールに座り楽譜を見ながら音量バランスの調整などを行っていました。
もちろんこの「コンタクテ」の演奏もシュトックハウゼンのサウンド・プロジェクションで行われました。
結果はあらかじめ予想出来たのですが、というよりその予想をはるかに超えた凄まじい演奏で、腰を抜かしてしまいました(笑)。
実はこの「コンタクテ」日本で一度聴いたことがあるのですがこのときはひどく幻滅してしまい、家でStockhausen Verlagの「コンタクテ」のCDを聴いた方が良い音がするのでは、と感じたほどでした(実際すばらしい音質の録音です)。演奏者の技量も悪くないと思ったし、このような難曲を演奏した心意気には感服したにもかかわらず、演奏全体としてのレベルが低い位置に留まってしまったのは「サウンド・プロジェクション」に対する認識が低かったからだと思います。
別にそのときのエンジニアの技術水準が低かったと言いたい訳ではなく、単にシュトックハウゼンの求めているサウンドを「知らなかった」だけだと思うのです。
シュトックハウゼンは他の作曲家以上に楽譜の情報量が極めて多く、さらにそこへ書ききれなかったことを前書きとして多くのページを割いて詳細に指示、説明をしていますが、残念ながら「こういうサウンドが欲しい」ということは文字で書けないのはお分かりだと思います。しかも皮肉なことに、その譜面に書けない情報が最も大事なことなのです! もちろん「コンタクテ」に関してはStockhausen Verlagからシュトックハウゼン公認の「正統的な」演奏、録音がCDとして発売されていますから、これを入手することによってシュトックハウゼンの求めるサウンドの近似値を知ることはできます(ただ、先程のエンジニアはそれすら聴いていない可能性も否定出来ません)。
しかし、「真のサウンド」を知るにはシュトックハウゼン自身のサウンド・プロダクション(あるいはそれを知っている人間によるプロダクション)による演奏を聴かねばなりませんし、逆に言えばそれがもっとも単純で確実な方法です。
しかもシュトックハウゼンはこの「セミナー」という形式を利用して自分の作品の正しい演奏解釈を伝えて行こうと努力しているのですから、シュトックハウゼンの演奏を志そうとする人の全てはこのセミナーを受講し、シュトックハウゼンの求めるサウンドを実際に聴く必要があるでしょう。
現在、世界中の様々な情報を容易に手に入れることができるし、遠く離れた国の作曲家の作品の楽譜を手に入れるのも難しくありませんが、(特にクラシック系の)演奏家の多くが、楽譜さえあれば何でも正しく演奏できるという奢りに近い感情を持っていることは完全には否定できないでしょう。
音楽は「記譜」という習慣ができるまでは口承で受け継がれていきましたし、記譜法が発展してからも「演奏習慣」という名の下、譜面に書かれていないことを演奏することがあるのは、バロック音楽などを演奏したことがある人なら誰でも御存じでしょう。
20世紀に入って記譜法は洗練の極みを増し様々な新しい記譜法も生み出され新しい音楽言語に対応していこうとする傾向が見られますが、結局音色や楽器の音量バランスを正確に記譜する方法は現在のところ存在せず、ここは作曲者自身の耳で判断してもらうしかない現実は決して忘れてはなりません。
そしてシュトックハウゼンは「求めるサウンド」というものを明確に持っていてその傾向は非常に一貫しています。
一言で言えば、輝きがあって粒立ちのはっきりしたクリアな音像とでもいいましょうか、最近の日本のコンサート・ホールでよくある残響の豊かで個々の音よりはむしろブレンドされたトータルとしての音がより知覚される音響の傾向とはまるで反対で、むしろロックやテクノのミュージシャンの好む音像の傾向に近いかもしれません。
今回の「コンタクテ」のサウンドももちろんこの例外ではありませんでしたが、このサウンドを徹底して成し遂げられたものは、生楽器と電子音が完璧に融合された圧倒的な音楽でした。生楽器と電子音の音量のバランスも良好で、電子音から生楽器に音色が変化していくように聴こえる部分では、どこから電子音でどこから生楽器なのか区別できないほど絶妙な音質の調整が行われていました。
本当に圧倒的な名演でそのすばらしさを言葉でお伝えできないのが残念ですが、こうした演奏を生み出すために、いかにサウンド・プロジェクションが重要かと言うことを痛感しました。
本当に日本で聴いた「コンタクテ」と同じ曲か、と思ったくらい演奏のレベルが違い(しかもこれは受講生の演奏です!)、唖然としてしまいました。
実はこうした内容のことを演奏会直後にシュトックハウゼンの横でサウンド・プロジェクションのアシスタントをしていた人に話したのですが、彼の答えは「そりゃあ、そうだろう」という感じでした。「私はシュトックハウゼンと沢山のコンサートで一緒に仕事をしているから、彼の作品、彼の求めるサウンドを良く知っている。」と自信深げにしゃべっていました。その自信に満ちた語り口から、相当細かいサウンドのセッティングをしているのだな、というのは容易に推測出来ました。
ちなみに彼は数年前のマウリツィオ・ポリーニの来日公演における「少年の歌」「コンタクテ(電子音のみの版)」の上演でサウンド・プロジェクショニストを努めたこと、そしてその演奏会場であったサントリー・ホールをすごく気に入ったことも語ってくれました。(いつまで続く??)