April 14, 2006

変幻自在

ある声楽関係の団体の会報のために依頼されて執筆した原稿を以下に紹介します。
オペラや歌曲などの一般的な声楽曲には興味はあるけれども現代曲にはほとんど無縁な愛好者を想定して書いたものです。

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 皆さんは、「声」とは何か、「声」が他の楽器の音色と全く異なった存在であらしめるものは何であるか、深く考えてみた事があるでしょうか?
 まず、すぐ思いつくのは「声」は「ことば」を持っている事です。では、なぜ楽器は「ことば」を話せないのでしょうか?一見馬鹿馬鹿しく思われるこの問いに「声」の秘密が隠れています。「あ」「い」が別の音として聞こえるのは母音が異なっているからですが、母音の違いは器楽的に言えば音色の違いということになります。日本語で母音は5種類、英語やフランス語だともっと沢山の母音がありますが、それはすなわち沢山の音色の違いをコントロールすることに対応します。楽器で同じ事をしようとするとどうなるでしょう?トランペットだと様々な種類の弱音器を付けたり、ヴァイオリンだと通常弓で弾くところを、手で弦を弾いたり、通常と異なる場所に弓を当てたりすることによって多彩な音色を使い分ける事ができますが、日本語のたった5種類の母音を演奏し分ける事すら出来ません。ことばにはさらに子音があり、子音がそれほど優勢でない日本語でも10種類以上の子音がありますが、楽器でこうした音を完全に区別する事は当然不可能です。母音はピッチがはっきりしていて楽譜に音高を正確に記譜できる音(楽音)ですが、子音は明確なピッチを持たない、打楽器風でノイズ的な音響で、声はこうした多彩な音響を楽々と複雑にコントロールできる魔法の楽器であるといえます。最近巷で流行っているヴォイス・パーカッションもこうした声の特性を生かした好例といえるでしょう。
 ことばの違いによる音色変化以外にも「声色」を変える事によりさらに音色変化のヴァリエーションを増やす事ができますし(例:鼻にかける、息混じり、ファルセット、ホーミーetc.)、指を鳴らしたり、手を打ったり、という体から発せられる音も声の延長とみなせば、一人の人間の体からありとあらゆる音響を生成する事ができるといっても過言ではありません。ある作曲家は「ギターは小さなオーケストラである」と言ったそうですが、現代流に言えば「声は生けるシンセサイザーである」と表現できるでしょう。
 イタリアの作曲家ルチアーノ・ベリオLuciano Berioが1966年に作曲した現代声楽曲の古典「Sequenza III」では今まで述べてきた声の多彩な可能性が徹底的に追求されています。「ことば」は音素の単位まで分解される事により「意味」から解放された抽象的な音響へと変容し、それがさらに、日常生活から切り離された笑い声や喘ぎ声など様々な声の表情と組み合わされる事により、変幻自在な音色の世界が立ち現れます。しかも、その抽象性と声の肉体性が絶妙に共存することにより音楽としての深みが一層増しているところも興味深いです。皆さんも一度この「声」の未体験領域を体験してみてはいかがでしょう?

まっちゃん@シリウス : April 14, 2006 12:00 AM | トラックバック (0) | 現代音楽

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