May 12, 2008
本日の講義内容
先日の日記でもお知らせした東京音大でのレクチャーのおおまかな講義予定内容について、ご参考まで以下にお知らせしておきます。
適宜、関連楽曲の抜粋の演奏も行います。
---
■現代声楽曲における声とことば
講師:太田真紀、松平敬
・19世紀までの声楽曲における音楽とことばの関係
・20世紀の声楽曲における多様化した音楽とことばの関係
20世紀前半
Sprechstimme
音声詩
20世紀後半
言語の音素への解体と再構築
非言語の音声コミュニケーションの音楽化
言語コミュニケーションの異化
シンセサイザーとしての声
・声と不確定性
・声と演劇性

ただ今一つコメントすると松平さんの全体的なレパートリーがまだわからないということです。
ハンナ・リスカ=アウアーバッハーのように声の特殊奏法まで含むのかどうかちょっと興味があります。僕も昔Wikipediaに特殊奏法に声まで書きましたがまだ十分ではありません。シュネーベルやベリオ・カーゲル・ヘルツキーあたりまで言われると面白いのですが。特にベリオの偽テキストや偽民謡まで紹介できると面白いです。後はテキストの無い声楽曲でボッカ・キウーザでないやつすね。クーセギーらが書いてますがこれも面白いです。シュトックハウゼンは僕は余り声の作曲法に関しては大家とは言いがたいように思われます。
Shigeru Kan-no : May 12, 2008 01:28 AMとても興味深い内容です。
都合がつけば是非潜りたいです。
実は息子の学校の名物行事・運動会が、昨日の雨で今日に延期、
友人たちを応援する約束なのです。
朝7時開会式、例年だと19時頃までやるのです。
Kan-noさん>
特殊唱法に関しては「シンセサイザーとしての声」のところでさらにいくつかの項目に分け、クセナキス、ラッヘンマン、シェルシ、シュトックハウゼンの作品の実演付きで紹介予定です。
ただしこれはすべてを網羅するのは大変ですのでふたりのレパートリーで対応できるものから選択しています。
ベリオの「セクエンツァIII」はやはり外せません。特殊唱法以外に「言語の音素への解体と再構築」「非言語の音声コミュニケーションの音楽化」の面で解説する事になります。
今回の構成でこだわったのは声と音楽の関係性です。
単にテキストが有る、無いということだけではなく、言語として完全なテキストから、音素に解体され意味性がはぎ取られた状態までの様々なグラデーションの段階を作曲に取り入れる事ができることを示せれば、と思います。
シュトックハウゼンの声の扱い方はとても奥深いですよ。
これだけで90分は余裕で講義できるくらいの内容はあります。
ハロー先生>
ぎょぎょ、緊張します。。。
どうぞお手柔らかに。。
昨秋、同じようなレクチャーをやった時に感じたのは、太田さんも私もしゃべりすぎてしまう傾向があるんですね(前回は別に司会役の方もいたのでさらに話が長くなりました)。
以前シュトックハウゼンのピアノ作品のアナリーゼをした時は気合いが入りすぎて2時間の予定が3時間になってしまったこともあるのです。
90分程度の内容で19時には終わらせる予定なのですが、おせおせにならないように時間管理をきっちりできればと思います。
まっちゃん@シリウス : May 12, 2008 08:41 AM僕はラッヘンマンにいたときにしばらくして彼にハンナ・リスカ=アウアーバッハーのところに行くように言われて、彼女のとこに数年間お世話になりました。彼女に何で声の特殊唱法だけは教えないんだと聞いたら本人は歌の曲だけは個人的にあまり好きじゃないのだそうです。彼女は秋吉台でも教えたらしく日本でも知っている人は知っているようです。僕はこの特殊歌唱をWienのORFの無料のコンサートでカーゲルやK・Huber,中でもシュネーベルのAMNは当時凄くショックを受けてStuttgartに行くことを決めたわけですが、ハンナのゼミ(ほぼ個人レッスン)では2・3年では全部紹介できないほどの膨大な作品の量を学ぶことができました。日本でも湯浅氏や高橋氏がこういうの書いたはずですがあの国にいても何の資料も手に入りませんでしたね。その種のをWienではいつも放送局の公開の無料演奏会でスコラ・カントゥルム・シュトットガルトなどを無料のプログラム付きで最前列の席で気軽に聞かせてくれたものですね。ラッヘンマンのハルモニカなどもあそこが初めてです。NHKも是非そうありたいですね。ただこの種の技法はもう書きましたがとてつもなく膨大だそうです。最近で面白かったのはマーンコップフのうめき声と力み声だけで作った「声楽曲」ですね。その他シュトットガルト音大ではキングス・シンガースらも読んで講習会したことがあります。クラシックであれだけできるのだから「声」は現代音楽では各国の言語・方言・歴史的発音なども含めると無限に近いですね。Wikipediaあたりに集大成してまとめられるといいです。自分がやってもいいのですが、特に歌を専門としているのではないのでどっかで限界ですね。
Shigeru Kan-no : May 13, 2008 05:09 AM個人的には、色々な特殊唱法を練習するのは嫌いではないですが、行きすぎた使用は控えるべきだと思っています。
楽器でもそうですが、まずは声本来の美しさ、機能性を生かすべきで、特殊唱法もその拡大の範囲のみで使うべきだと思います。
その範囲をさらに超えた音色が必要なのであれば、他の楽器なり電子音なりでやった方がよほど合理的で結果も満足いくものになるでしょう。
「こんな変な声も出せる」的な特殊唱法の過剰な追求は単なる珍奇な試みにすぎず、すぐ飽きられてしまうと思います。
まっちゃん@シリウス : May 15, 2008 01:54 PMえらい遅いコメントですみません。。
先日はお疲れさまでした。
私自身、とても楽しい時間でした。
カウンターを見ながらのおしゃべりは、
まるでノーノ作品の演奏中のよう??(笑)
ともかく、レクチャーで一番言いたかったことは
声の作品を書く場合、
『作曲者は、まずは自分でやってみよう!』と言うことですよね。
うむ。
また同じような機会があればいいなと思います!
この種の質問はリスカ=アウアーバッハーが世界中で散々受けたらしく、ゼミでもこの問題は必ず触れて私たちに教えましたね。答えは「全く問題なし」とのことです。どんなことやっても自分の綺麗な声は失われないとのことです。
同じ問題はバイロイトのコンマスのヨアヒム・シャルのゼミでも触れられました。彼はガルネリ持っていますが、Col・legno・trattoなどをやったら楽器が悪くなるかという問いに完全にNoと言ってましたね。
そういう保守的な演奏家はそれでも世界中にいます。例えばシュターツカペレ・ドレスデンの主席チェロ奏者は絶対やら無いとベルリンのゼミで言ってました。それに対してクラウス・フーバーはそういう奏者は現代音楽では絶対使えないので作曲者は演奏家としては諦めるようにと教えていましたね。今もラッヘンマンをベルリン・フィルが絶対やらないのはそのためです。要するに保守的過ぎて使えないわけです。だからアバドはヨーロッパ室内や、グスタフ・マーラーユーゲントなどを作ってノーノなどをやっているわけですね。一方アンサンブル・モデルン・オーケストラもそのためにあります。歌だったらSWRヴォカールアンサンブルや、ケルン放送合唱団などですね。日本と違って特殊な音楽には特殊な専門家が必要なわけです。それがここの考え方ですね。何でもできる人はありえないという条件の元です。ケレメンの経験だと昔のベルリン・フィルはオーボエのフラッターツンゲは存在しなかったそうです。ホリガーがやっているといったら彼はオーボエ奏者じゃないといわれたとか(笑)。今はファゴットモ含めてどこの音楽学生でもやりますね。
また美学上の問題ですが美しい声も特殊唱法の雑音も美しいと思えば、上手く組み合わせれば同じくらいに美しいですね。われわれにどうしても必要なのは実はこういう演奏家なのですが、どんなに前衛的なことをやっていても保守的な傾向の演奏家は5万といるいうのが自分の経験です。だからカーゲルやケージは自分でやっているのですね。最近はラッヘンマンが「声」役でそこら中で出まくっていますね。彼らが自分でやるというのはそういうわけがあるのですね。それでもヘルツキーの声楽曲は相当浸透してきましたね。
Shigeru Kan-no : May 16, 2008 07:09 AM念のために申し添えておくと、特殊唱法そのものに対して否定的であるわけではありません。
ラッヘンマンの声の扱い方は素晴らしいですし、彼は全部自分で歌えますね。
まっちゃん@シリウス : May 17, 2008 01:00 AMおおたまき。さん>
先日はお疲れさまでした。
自分で歌って作ったのかどうかは、楽譜見たら一瞬で分かってしまいますよね。
自分で歌った形跡のない楽譜は、かならず歌いにくく、その割に演奏効果が低いです。
まっちゃん@シリウス : May 17, 2008 01:02 AM実はそのところを冷たいのでいつもここに書いているわけですね。
ラッヘンマンは自分でもちろんやっていますね。僕もそうです。ゲップとしゃっくりだけはさすがにどうしても定時間にできなかったです(笑)。こちらの現代声楽というと一応体で出る音は全部使いますね。ヘルツキーは更に良く簡易打楽器も持たせます。僕はそれを付加楽器の使用と言っていますが。
まあ歌の人は第一に声が中心だからそうなるのでしょう。作曲の場合は必ず素材の問題が入ってくるのでおいそれとピアノ伴奏で単純に歌わせるには行かないですね。歌の曲を書いて「歌」が出てきた段階でその曲は素材的に退屈なわけです。しかし世界中の歌の人が何時でもやってくれるわけでは無いのでいつも板ばさみで苦しんでますね。難しい問題です。いっそのことピアニスにに歌わせて歌手にピアノの伴奏をしてもらうというアイディアはあるのですがまず誰もやってはくれないでしょう。ケージの曲にピアノの旋律に”歌で伴奏”した曲がありますね。その拡張形です。東京でも昔それをやろうとしましたが見事に拒否されて怒られましたよ。習った歌の先生に「君のは全く音楽じゃないよ、人を馬鹿にするな!」といわれましたね(笑)。アイディアは無数にあるのですが実現はいつも難しいですね。
Shigeru Kan-no : May 18, 2008 05:21 AM今ラジオでラッヘンマンのインタビューやってますが、なぜいつも声楽曲を書きたくないのかは、ノーノのトラウマが凄く残っているようです。あれだけ多くの声楽曲を書いたので引けて書けないようです。それであの「マッチ売り」の完成が10年以上と大幅に遅れたようですね。少なくとも彼は声楽曲の大家でない事は本人自身が認めているようです。やはりこの分野だけはシュネーベルやヘルツキーの方が遥かに先を行っていて優れているようです。
Shigeru Kan-no : May 24, 2008 05:50 PM